孤独の再評価
突然ですが、「孤独」という言葉に対して、みなさんはどのような印象を抱きますか。どちらかというとマイナスのイメージを持つ人が多いのではないでしょうか。それは小さい頃から、「友達をたくさん作りましょう」と言われ、友達が多い人は「明るくて活発な人」だと受け止められることが多いことが理由ではないかと思います。その一方で、最近は書籍などで、「一人時間を楽しむ」とか「友達は少なくてもいい」など、孤独というものを肯定的に評価する動きも増えています。しかし、どちらも場合も、「他人とのかかわり」という点から孤独を評価したものであり、結局はどちらが好きかという個人の好みの問題でしかありません。
私が今回ここで話したい孤独とはそういうものではなく、「自分と向き合うための一人の時間」ということです。
孤独のメリット
孤独という状況には、さまざまなメリットがあります。①ものごとに集中できる
テスト前などで勉強に集中しようと思ったら、やはり一人でないとできません。もちろん友達と一緒に勉強しようと約束することもあるでしょう。そういう時でも、塾や図書館など勉強する場所までは一緒でも、実際に勉強する時には別々にやらないと集中できません。
②創造的な考えを持てる
じっくり物事を考えるためには、静かな一人の時間が必要です。新しいアイデアや発想、または自分への反省などは一人の時間から生まれます。さらに、当面の課題や、将来のゴールを達成するために、自分は何をすればいいか。予定、段取り、交渉、具体的な作業……それらを「正しく(ムダなく)考える」ために、独りの時間は、大切な意味を持ちます。
③自分を客観視できる
人間関係のトラブルや悩みを抱えた時こそ、自分の感情や心情と向き合うことが重要です。一人で冷静に考えることで、心をかき乱すような刺激・情報・他人の目に、いちいち反応しなくてすみます。こうすることで、自分と他人を客観的に比較してみることが容易になります。
一人時間がないことの弊害
携帯電話やスマホ、あるいはそれらを用いたSNSが発達するにしたがって、誰か(友達や、時には見ず知らずの人)と繋がることが簡単になりました。それは便利なこともある反面、深刻な落とし穴も持っています。仲間と群れたがる人はストレス耐性が弱くなります。何かあるとすぐ仲間に愚痴を言い、相談する・・・それはコミュニケーション能力が高いのではなく、自分のことを自分で持ち堪えることができないだけなのではないかと思うのです。
SNS上で「いいね」で容易に承認されるような居心地のいい世界に慣れてしまうと、努力してまで認められようとはしなくなります。そこには成長につながる厳しさのない、ぬるま湯のような関係性しかありません。また、異なる所属の人や異年齢の友達との付き合いがなくなり、さらに読書による様々な視点の経験もなく、その上SNSでは同類としか関わらないのでは、多様な価値観を受け入れられなくなってしまいます。
孤独は自分自身を振り返るチャンス
学生の時期はあっという間に終わってしまいます。数日後のテスト、数週間後の部活の試合など、目の前の予定のことばかりではなく、たまにはもっと先のことをじっくり考えてみる時間を作りましょう。あるいは、友達との関係、自分自身の問題などを静かに振り返ってみることも大切です。そのためには、敢えて孤独な時間を持たなければいけません。携帯電話やスマホがなかった時代は、家にいるときに友達と話すには電話しか手段がありませんでした。ただ、特に用事がない限り気軽に電話できるものでもありません。この不便さのおかげで、学校や会社から帰れば自然と一人になることができました。
ところが、今の時代はそうはいきません。何も考えず、ただ周りに流されていると、健全な孤独の時間を全く持てない人間になってしまいます。だからこそ、他者とのつながりを断った時間を意識的に作って、自分と向き合うことが大切になってくるのです。